頼ることは悪いことではない

子どもの頃は夏休みというものがあった。今思えば社会的に認められた贅沢な一ヶ月はだったのだけど、そのときはそんなふうにはこれっぽっちも思わなかった。

というのも宿題があったからだ。

夏休みに宿題があるというのは、子どもに夏休みを休むな、と言っているようなもので、憤慨していたのだ。

休むのはあくまでも学校であって、子どもが休むものではないという理屈なのだろう。

そんなことに理不尽さを感じていたのだ。

これはスーパーが休みでも主婦が休みではないのと似ている・・なんて屁理屈なことも考えていたのだ。

 

とまあ、そんなことで、夏の太陽の下で元気に遊んでいても宿題のことがチラリと脳裏をかすめるだけでとたんに不愉快になっていたのだ。

それなら、宿題をやれよ・・ということになるのだけど、それができたら苦労はしない。やらないから苦労するのだけど、それができなかったのだ。

特に毎日書かなければならない絵日記なんかのことを考えると、それまでこの世の夏を謳歌していた気分もいっきに低空飛行気味になる。

 

小学校4年のときは一年間日記を書く決まりがあった。

学校に行っているときは仕方なく書いていたが、夏休みに入ると途端にやめた。

やめたらいけないのだけど、やめたのだ。

それでどうしたのかというと、一週間くらい書かなければさすがにまずいだろうと思って仕方なく書き出す。

もともと記憶力がいいわけではないので、一週間前のことはわからない。

それで何を書いたのかというと、犬と遊んだことをさも一週間前にしたように書いたのだ。

それを3日分書くとか次の3日は、買い物に行ったことを、3部作くらいにして3日間に散りばめて書いていた。

 

意外と、なるようになるものだ・・自分ではそう考えていたのだけど、出来は最悪だった。

日記の空白がたまっていくのを手をこまねいて見ていたわけではない。

毎日、「今日も日記を書かなかったなあ・・」なんて心が重くなるのを感じていた。

基本的には怠け者でありながら小心者だったのだ。

溜まっていく日記の量は一日遊びまくった楽しい日々と反比例して心の重さを引きずりながら、それでも怠け続け、ギリギリまで重たい心を引きずりながらさらに怠けるのだ。

たまに、本当にこれではいけないと思って、たまった日記に手を付けてみる。

それで、3日も書いたらすごく書いた気になって「今日は本当によく勉強した」なんてことになるのだ。

そして得意になって、まだまだ10日以上溜まっている日記は見なかったことにするのだ。

 

そうこうしているうちに、8月も29日くらいになると、さすがに本気で「やばい」と目が覚めるのだけど、そのときには、自分一人では何から手を付けていいのかもわからなくなっているのだ。長々と日記のことを書いてきたが、宿題は日記だけではない。自由研究などは一日では書けない、しかしあと3日もない・・絶体絶命のピンチだ・・。

そのときにどうしたのか・・

親に泣いて謝って手伝ってもらうしかない。

それで、宿題が解決するのだったら背に腹は変えられない・・。

そして罵詈雑言を浴びながら、誰に何を手伝ってもらうかを考えるのだ。

この考えは大人になった今も大して変わっていない。そんな、常にだれかに頼って運よく生き残っている俺が助けられた話を書いていこう。

振り返った時、自分のダメ人間さ加減を確認するためにも・・・

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